白バイガール

世の中に逃げ切れない程大きな問題はないと思っている、きわめて脳天気な思考のオッサンであるが、実は二つだけ、どうしても逃げられるとは思えないものがある。
一つは税務署。
脱税した経験などもちろんないが、税務署の目をごまかす程の頭脳は持ち合わせていない。
真面目に納税するのが一番である。
そして、もう一つが白バイである。
バックミラーに赤色灯を回転させたCB1300を見つけてしまったら、おとなしく観念した方が良い。
たとえポルシェやカワサキH2に乗っていようが、白バイから逃げ切ることは不可能だ。
なぜなら、白バイこそ常に公道最速の乗り物だからである。

最近世間を賑わせている(?)話題の本を読んでみた。
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タイトルはずばり「白バイガール」。
舞台は泣く子も黙る神奈川交機A分隊。
そこに配属された新米の女性白バイ隊員が本作の主人公である。
隊員は全員バイクの会社名をなぞっているので、記憶力が衰えているオッサンには覚えやすくてありがたい。
まず、主人公がホンダ。やっぱり、ホンダは常に主役というわけか。
気の弱いホンダと対照的なクールビューティーがカワサキ。
上司はヤマハで、同僚はモトグッチにカジバね。なるほど。
で、スズキはどうしたの!と思ったら、分隊長がヨシムラでした。

ストーリーはミステリー仕立ての王道青春物語である。
泣き虫の本田隊員が仲間や先輩に助けられながら成長していく。
そこにミステリーの要素が入っているから、面白くて一気に読んでしまった。
爽やかな読後感だ。
最近疲れ気味のあなた、たまにはこういう本を読んでスカッとしましょう。

ちなみに、これを読んで白バイに興味をもたれた方には「全国白バイ安全運転競技大会」の動画をオススメしたい。
「安全運転」とは名ばかりの鬼のような超絶運転技術に誰しも唖然とするだろう。
だからね、こういう人たちから逃げ切れるわけがないんだって...。

バイク乗りにとっては憧れの存在である白バイ。
憧れが天敵にならないよう、安全運転で楽しみましょう。



不思議な話

しばらくブログを放置しており、もはや誰も見ていないと思われるので、誰も興味がなさそうな話を書いてみる。

人が死んだらどうなるか。

臨死体験は多くあるが、実際に死んだ人から話を聞くことはできない。
本当のところは分からないが、自分は死んだ後も大好きな人たちに会いたいと思っているのである。
だから、自分にとって死後の世界があるのかどうかは大きな問題なのだ。

もう大分前の話になるが、工藤美代子さんというノンフィクション作家の本を読んだ。
タイトルは、そのものズバリ、「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら」(2011年5月初版)。
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この本のポイントは、ノンフィクション作家がノンフィクションを書くのと同じプロセスで客観的に自分の身に起きた不思議な体験を語っていることだ。
「これは本当にあった出来事ですが…」で始まる話は9割方内容が膨らんでいると思われるが、工藤さんは終始冷静な目で事実のみを書いている。
本当に気味の悪い、背筋が寒くなるような話もあるが、自分は「母からの電話」という話を読んで、思わず息を呑んだ。

工藤さんのお母さんを、元気な時も病の時も献身的に支え続けたC子さんは、お母さんより先に亡くなってしまう。その後、工藤さんのお母さんもお亡くなりになるのだが、臨終の場にいたのがC子さんとしか思えない事実があった。そして、C子さんの月命日には電話が「リン」と1回だけ鳴るようになった。工藤さんはそれが母親からの電話に違いないと思うのだが、母が何を伝えようとしているのか分からない。

この話を読んで、ある事実を思い出した。我が家でも時々電話が「リン」と1回だけ鳴ることがあったのだ。でも、何日のことだったのかは思い出せない。その後、同じことが起きた。カレンダーを見てみると、亡くなった母親の月命日だった。それからも母の月命日には必ず電話が1回、「リン」と鳴る。それは今でも続いており、「今日も来るな」と思っていると、やはり電話が1回鳴る。これは間違いなく母親だと確信している。
ある日、電話が少し小さめの音で「リン」と1回だけ鳴った。母親の月命日でもなく、何だろうかと首をひねっていたが、それは少し前に亡くなった愛猫の月命日だったのだ。
「坊や。お前さん、自分で電話できるようになったんだね。」
目頭が熱くなった。

このことがあってから、死ぬことが怖くなくなった。
大好きな人にはまた会えるから。

でも、ハンディキャップを背負って苦しんでいる人は、あの世でも苦しまねばならないのか。
そんな理不尽には耐えられないだろう。

もう一冊、最近読んだ本を紹介する。
「天国は、ほんとうにある」トッド・バーポ作、リン・ヴィンセント共著、阿蘇品友里訳(2011年10月初版)
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日本語版の初版は2011年だが、去年映画化されて話題になった。(ごく一部だが)

牧師の息子、3歳のコルトン・バーポ少年は、穿孔性虫垂炎にかかり、生死の境をさまよった。
コルトンは奇跡的に一命を取り留めたが、その後、家族との会話の中で、自分が「どこに」いたかを語るようになった。ごく自然に。ところが、それは牧師の父親を始め、誰も少年に教えていない「天国」の描写としか思えないものだった。
コルトンによると、天国は素晴らしく居心地の良い場所で、もう亡くなった愛する人に会えるのだ。その姿は写真で見たおじいちゃんの姿ではなく、若くて生き生きとした姿をしているのだと。
今、様々なハンディキャップや不幸を抱えて苦しんでいる人も、天国では苦しみから一切開放されるのだ。
現世は修行の場だと。
だから、今苦しくても立派に生きぬくことが大事なんだ。

更に良い情報を得た。あの世では、自分は髪の毛がふさふさ生えているわけだな。

3歳の息子がもう助からないと思われたとき、父親の牧師は一人で部屋にこもり神に祈りを捧げた。正しく言うならそれは祈りというよりも神に対する怒りであり、神に仕える自分の息子を何故奪うのかという非難だった。
息子はその様子を天国で見ており、イエス様に「戻りなさい」と言われてこの世に戻った。
この話を読んで思い出したのは「あしあと」という有名な詩だ。
以前に紹介したことがあるが、もう一度書いておこう。

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


今を精一杯生きているなら、死ぬことは怖いものではない。
自分にはあともう少し時間が与えられている。
一瞬の時間も無駄にすることなく、全力で生きていこう。

「本気」と書いて「マジ」と読む。
おじさんの人生はいつだってチョベリグなのである。
そこんとこ夜露死苦!

死後の話だけに死語でまとめてみました。

お後がよろしいようで。





三陸鉄道情熱復活物語

「三陸鉄道情熱復活物語」を読んだ。
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3年前の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた三陸鉄道。
それが今年の4月に全線開通した。
これは三陸鉄道の被災から復活までを克明に記録したドキュメンタリーである。
大震災が三陸鉄道を襲ったときの描写は生々しく、改めて地震と津波の恐怖を感じ、心が震えた。
しかし、震災から僅か5日後に三陸鉄道は一部区間の運転を再開し、3年後には全線が開通した。
なぜ、そんなことができたのか。
地域の人々を運ぶ鉄道の使命を全うしようとした鉄道マン達の情熱が人を動かし、不可能を可能に変えたのだ。
恥ずかしい話だが、自分はクウェート国が震災に際して巨額の支援を行ってくれたことを本書を通じて初めて知った。
強固なリーダーシップ、復活に懸けた社員の情熱、地域住民の支援、そして国を超えた協力。
それらが人と人との絆を産み、育て、鉄道の再建という形になっていく。
いち第三セクターの再建というだけでなく、震災からの復興を象徴する貴重な記録になっている。

東北の復興はまだまだ終わりが見えない。
東北の復興がなければ日本の復興はない。
私たちはそのことを決して忘れてはならないのだ。

かもめのジョナサン 完成版

「かもめのジョナサン」に「完成版」が出たと聞き、早速読んで見た。
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この本が日本で出版され大ブームを巻き起こしたのは1974年で、僕はまだ11歳の少年だった。アーサー・ランサムの本に夢中で、「かもめのジョナサン」は大人が読む本だと思っていた。
ジョナサンに初めて出会ったのは高校生になってからだ。学校の帰りに古書店に立ち寄ったら、読んだ形跡のない、ほぼ新品の「かもめのジョナサン」が50円で売られていた。恐らくブームに乗っかって買ってはみたが、読む機会を逃して売られてしまったのだろう。少し不憫に思った僕はその本を買って帰り、期待もせずに読み始めた。
一気に読み終えたのは、かもめの写真が多くて本文が短かったからだけではない。惰性で生きることを拒絶し、群れから離れて只ひたすら飛ぶことを追求するジョナサン・リビングストンの孤高な生き方に感銘を受けたのだ。

最初に出版されてから40年が経過して、最終章であるPart Fourが加えられ、ここに「かもめのジョナサン」は完成した。
何故リチャード・バックが今になってPart Fourの封印を解いたのかは、序文で明らかにされており、実際に最終章を読むとその意味が理解できる。

高校生の頃はPart Oneだけが強く印象に残り、Part TwoやPrat Threeはあまり理解できていなかった。今になって読み返してみると、それらの意味が深く心に落ちてくる。三十年以上を経て、もう一度この本を読む機会を与えてくれたことに感謝したい。

「かもめのジョナサン」は寓話の形で語られることにより、読み手に自由な解釈を許容している。今回、最終章が加えられたことで、リチャード・バックが真に伝えたかったことが明確になった。

生きる意味とは何か。自分は何をやるべきなのか。自由はどこにあるのか。
悩んでいる若い人たちにこそ読んでもらいたい本だ。

僕が人生で一番大事にしているのは「精神の自由」だ。肉体が衰え、時間に束縛されようとも、心が自由であるかぎり僕は僕でいることができる。
「かもめのジョナサン」は自分でも全く気づかないうちに僕に計り知れない影響を与えていたのかもしれない。
その証拠に、僕はこの歳になっても群れることなく自由を求めてオートバイに乗り続けている。
おそらく、これから先も。



ゆめのかよいじ(続き)

昨日書いた「ゆめのかよいじ」のことだが、1988年のオリジナル版は既に入手が困難になっているらしい。
「まんだらけ」でも「圧倒的に見ない」ものらしい。
残念だが、さらに調べると、Jコミでオリジナル版が無料で公開されていることを知った。
アドレスはこちら。
↓    ↓    ↓
http://www.j-comi.jp/book/comic/43881

オリジナル版を読んでみたい方は是非この機会にご覧になってください。

映画の予告編も貼らせていただきます。

原作の雰囲気がとても良く出ているのではないだろうか。
ますます観に行きたくなった。

公式サイトはこちら。
↓    ↓    ↓
http://yumenokayoiji.jp/

最新の情報はフェイスブックでチェック。
↓    ↓    ↓
https://www.facebook.com/yumenokayoiji

今日、JコミのアプリをiPadにダウンロードして、出張帰りの新幹線の中で久しぶりに「ゆめのかよいじ」を読み直してみたが、あらためて名作だと感じた。周りに乗客が大勢いたにも関わらず泣きそうになった。
四半世紀の時を越えて映像化された作品がますます楽しみである。
プロフィール

猫助

Author:猫助
ウナギの里、浜松市在住。
オートバイと猫とビールをこよなく愛するオッサン。
肺年齢は89歳。

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